タイ
1日目
1.セブンイレブンがあり、かなりの人が活用している様子(写真1)。
2.観光地(寺院)などでは、最近中国人観光客が多い(特にワット・プラ・ケオでは)。
3.ワット・ポーでは、ミネラルウォーターを1本くれるサービスがある。
4.今日回った寺院はワット・アルン、ワット・ポー(涅槃)、ワット・プラ・ケオ(国、王室の寺院であるため、本堂を撮影することはできなかった。仏像自体は、66cm×48.3cmで小さい)。
5.ワット・アルンは、暁の寺とも呼ばれるが、1767年、タークシン将軍はビルマによる侵攻で荒廃したアユタヤの地を離れてチャオプラヤー川をくだり、とある夜明けにこの寺に辿り着き、そしてこの周辺を拠点に、現在のバンコク王朝の前身にあたるトンブリー王朝を開き初代の王になった為、当時ワット・マコークと呼ばれていた小さな寺院は、そのことから「暁の寺」と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。また、ヴィエンチャン攻略で戦利品として持ち帰えられたエメラルド仏(持ち帰ったのは当時タークシン王の部下だったところの後のラーマ1世)が祀られ、「王宮寺院」となっていた時期もありました(現在エメラルド仏はワット・プラ・ケオ内でみることができます)。ラーマ2世の頃に建設が始まり、ラーマ3世の時代に完成した現在の仏塔は、バンコク様式で、10B硬貨にも描かれています。
6.ワット・アルンでは、門に鬼が2体立っており、2体とも悪い鬼で、頭の上にまた顔のようなものが2つトーテムポールのようにある(写真2)。
しかし、良い鬼と悪い鬼はどっちも寺を守っており、兄弟であり、常に喧嘩している。しかし、良い鬼と悪い鬼とは、喧嘩するときに怒りやすい鬼とそうでない鬼のことであり、実際には良い鬼が良く、悪い鬼が悪いようでは無いようである。
7.(写真3)の建物は、トウモロコシの形で(カンボジア様式)、建物を支える猿がおり(タイ様式)、花があり(中国様式)この3つの様式が合わさった建物となっている(建物自体は陶器で出来ている)。
8.(写真4)では、建物に鈴が付いており、風が吹くたびに鳴っていた。このような形の鈴に願いを書いてぶら下げるという、絵馬のような使い方をすることもある。
9.(写真5)では、涅槃がいた為、ワット・ポー以外にもワット・アルンにも涅槃が存在することが分かったが、長さは約1mくらいのようで、あまり大きくなかった。また、足の裏にもワット・ポーの涅槃の足の裏には仏教の世界観を現す108図が描かれているのに対し、ワット・アルンの涅槃の足の裏には何も描かれていなかった。
10.鬼や猿や人の像がある中、鬼は牙が逆向きに生えていることが特徴的だった。
11.写真(6,9)はワット・ポーの涅槃の建物の壁の様子。
(写真9)の壁のあたりでは、象がたくさん描かれていることが特徴的だった。
12.(写真7,8)はそれぞれワット・ポーの涅槃の頭、体。
13.(写真10)はワット・ポーの涅槃の全体像
14.ワット・ポーの涅槃の足の裏は工事中で正面からはよく見えなかったが、横から少し見ることができた。(写真11)
15.ワット・ポー(医学の府とされている寺院)の敷地内にはタイ式マッサージについてのことが描かれた壁があった(写真12)。
また、東洋医学に基づくタイ式マッサージ学校が境内にある。
16.ワット・ポーの敷地内には歴代の王(ラーマ1ー4世)の墓があった(写真13)。
17.タイにおけるタクシーの一種、トゥクトゥク(写真14)。
18.タイのお坊さんの服がオレンジ色なのは、元は木の皮で服を染めていた為、茶色っぽい色だったが、今は服の色が少し明るくなった為である。
19.ワット・プラ・ケオ(ラーマ1世の時代に建てた)を含む、王宮の入場口の外からの様子(写真15)。
20.制作に8000万B(3億2000円)かかったという、表面が全て金箔で飾られている王宮の建築物(写真16,18)。
21.王宮内にある、ワット・プラ・ケオや、その他の宝石で綺麗に飾られた建造物(写真17,19,20,21,22,23)。
また、(写真17)では、ワット・アルンの様に、建物に鈴が付いていたが、ほかに人が大勢いたためか、音は聞こえなかった。また、(写真21,23)には、悪い鬼が合計4体写っているが、ワット・プラ・ケオには合計で悪い鬼が6体、良い鬼も6体いる。
22.王宮の宮殿や、ワット・プラ・ケオの壁には宝石やガラスなどが大量にあるが、高さ160cm辺りまでにある宝石は剥ぎ取られていた(写真24)。
23.ラーマ5世が建てられた宮殿の1つ(写真25)。
ちなみにラーマ1世はタイが、ラーマ3世は中国が、ラーマ5世はヨーロッパが好きだった様。
24.(写真26)はラーマ5世が建てられた宮殿で、チャックリー宮殿と呼ばれている。
屋根はタイ様式だが、壁などはヨーロッパ様式である。
25.(写真27)はチャックリー宮殿の隣にある、火葬場。
一般の人に火葬場ではなく、皇室関係のための火葬場の様。
26.ワット・プラ・ケオでは、バスガイドに長ズボンを履かなくても良いと言われたが(子供とみなされて)、寺院(正確には王宮)では140cm以上の身長の人は大人扱いされ、一度寺院の外のズボンが売っている店まで行く羽目になった。記念にそのズボンを買ったが、今回の旅行でワット・プラ・ケオはとても服装に厳しいことが分かった。
2日目
27.ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは、14世紀に留学から帰ってきた修行僧たちの為の瞑想の為に建てられた寺院。また、境内の中央の72mの塔は、1592年に19代ナレースワン王がビルマ王子との象上での一騎打ちに勝った記念塔である《写真3,4》。
28.《写真1,2》はワット・ヤイ・チャイ・モンコンの涅槃の様子。
《写真42》のワット・ローカヤ・スターの涅槃に足の裏が似ている。
長さも10mはあり、ある程度大きい。
29.ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの階段は、長い間人が踏んでいる為か、コンクリート以外のレンガの部分がすり減っていた《写真9,10》。
30.ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの72mの塔の横にある3基の塔の上の部分は、ビルマ軍の攻撃で崩れてしまっていた《写真5,11》。
31.ワット・ヤイ・チャイ・モンコンにある仏像に備えてある花はジャスミンとのこと《写真6,7》。
32.ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの72mのの塔の横にある仏像のうち、1つに白毫の様で少し違う(金色のもので、白い右巻きの毛とは到底思えなかったから)《写真8》。
33.《写真12,13》は、アユタヤ・エレファント・キャンプの象の様子。
何よりも、象が鎖か紐につなげられていなかった為、迫力がすごかった《写真12》。また、初めて象に乗ったが、よく揺れた上、危うく道の横の溝に落ちるところだった《写真13》。
34.ワット・プラ・マハタートの付近では、洪水があった為、《写真14》の建物の壁に跡が付いている。
35.ワット・プラ・マハタートは、ビルマ軍に殆ど滅ぼされた為、仏像の金箔が全て溶かされて取られ、仏像全ては重い為、価値のある首だけ持って行かれてしまった《写真16,17,23,27》。
また、流石に全ての仏像が体だけなのは縁起が悪い為か、所々首が付け直されているのもある(《写真17》の左端の仏像、《写真28》)。
36.ビルマ軍のワット・プラ・マハタートの破壊により、地面が歪み、塔まで傾いてしまっているところもある《写真15,26》。
また、高さだけでもわかるようにと、壊された礼拝堂の外壁に横に1つの長い柱がある《写真21》。
37.ワット・プラ・マハタートは、元は《写真41》の様な寺院だったが、現在は《写真20》にある1つの建物だけとなってしまっている。
また、ワット・プラ・マハタートの階段は、長い間人が踏んでいる為、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの様にすり減っていた《写真22》。
38.ワット・プラ・マハタートの現在の全体像《写真24,25》。
39.ワット・プラ・マハタートのビルマ軍に破壊される前の模型《写真29,30》。
40.ワット・プラ・シー・サンペットのビルマ軍に破壊される前の模型《写真31,32》。
41.ワット・プラ・シー・サンペットの、現在残っている3基のセイロン様式の塔《写真33》。
これら3つの塔には、それぞれ3人の王の遺骨が納められている。
42.ワット・プラ・シー・サンペットの、現在残っている3基を含む6基のもともとあった塔の様子《写真34》(《写真34》の左から1、3、5番目の塔が現在残っているもの)。
また、破壊される前のワット・プラ・シー・サンペットの全体図《写真35》。
43.ワット・プラ・シー・サンペットの中にも、金色の仏像があった為《写真36》、洞穴らしきところに入ったところ、鳩の巣となっていた為、鳩が飛び出してきて危うく頭を突かれるところだった。
また、その洞穴を外から見た様子《写真37》。花が添えてある。
44.ワット・プラ・シー・サンペットの現在の様子《写真38》。
塔や仏像などは全て破壊され、残っているのは瓦礫と、レンガだけの建物の壁等だった。
45.ワット・プラ・シー・サンペットの階段も、ワット・ヤイ・チャイ・モンコンや、ワット・プラ・マハタートの様に、コンクリート以外のレンガの部分などがすり減っていた《写真39》。
46.ワット・プラ・シー・サンペットの隣にあった建物《写真40》。
チャックリー宮殿から推測するに、屋根がタイ様式だ。